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成功哲学の系譜

ナポレオンヒルが成功哲学の体系化に着手してから一世紀が経ちます。

アンドリュー・カーネギーが成功哲学の基礎を作り、ナポレオンヒル博士が体系化した普遍的な成功哲学は、実業界をはじめ様々な人たちに影響を与えてきました。

数多くの成功者を世界中に誕生させ、また数々の「成功法則」のルーツとなり、成功哲学の潮流は今や世界中に広がっています。

成功哲学の軌跡

1883年バージニア州南西部のワイズ郡で生まれる。
1892年9歳のとき生母と死別。継母の慈愛を受けて育つ。
1908年
(25歳)
「ボブ・テイラーズ・マガジン」の記者として、アンドリュー・カーネギーにインタビュー取材を行う。この時アンドリュー・カーネギーから、多くの成功者たちの研究を通して「成功哲学」を完成させるように依頼を受ける。
ナポレオン・ヒルはわずか29秒間の黙考のあと、これを快諾する。その後、カーネギーが紹介した成功者507名に会い、その成功ノウハウを次々と体系化していく。
1913年
(30歳)
イリノイ州シカゴのラサール・エクステンション大学の広報部長となり、成功法とセールスマンシップのコースを教える。
1917年第一次世界大戦中、ウッドロー・ウィルスン大統領の広報補佐官として仕える。
1919年第一次世界大戦後、シカゴで「ヒルズ・ゴールデン・ルール・マガジン」を編集。さらに、その後22年まで、ニューヨークで「ナポレオン・ヒルズ・マガジンの出版に携わる。両雑誌とも、ナポレオン・ヒル博士の成功プログラムを新興し、かつ、この時期にナポレオン・ヒル博士自身、著名な講演家となる。
※同年8月 アンドリュー・カーネギー死去。
1923年
(40歳)
雑誌の出版を終了し、成功者たちに関する膨大な取材ノートを、原稿形式に書き替える作業をスタートさせる。
1926年「サイエンス・オブ・アチーヴメント」プログラムを開発。当時世界最大のUSスチールのギャリー会長が、全管理職に購入させることを決定したが、その直後に病死したため、中止となる。
1928年
(45歳)
世界初の成功哲学が完成。
アンドリュー・カーネギー自身の成功ノウハウと507名の成功者たちを調査・取材することで、20年前にアンドリュー・カーネギーと約束したとおり、最初の成功プログラム「The Law of Success」全8巻が完成し、世に送り出す。
以後、その成功哲学を講義しつつ全米各地をまわる。このころ、いくつかの事業にも成功し、大富豪となり、ニューヨークのキャッスル・マウンテンズに豪邸を建てる。
1930年「成功への魔法の階段」を出版。
1933年
(50歳)
フランクリン・ルーズベルト大統領の補佐官を1936年まで務める。同大統領の有名な演説「われわれは恐怖以外には恐れるものはない」の草稿を作る。
1937年Think&Grow Rich(邦訳:思考は現実化する)を出版。
1942年普遍的な成功哲学を17セッションにまとめ、それをプログラムとして普及させるための準備に取り掛かる。
1945年「成功へのマスターキー」を出版する。
1947年「ナポレオン・ヒル」と題した30分のラジオ番組を、カリフォルニア州ロサンゼルスのKFWB局から放送開始。
1949年このころ、引退へ向けて、徐々に活動を減少し始める。
1952年W・クレメント・ストーンと出会う。ストーンの懇願と成功プログラムのさらなる普及のために、現役に復帰し活動を再開する。この年に、成功プログラムを普及させるための組織、「ナポレオン・ヒル・アソシエーツ」をストーンと協力して設立する。
1953年
(70歳)
17セッションからなるプログラム「ザ・サイエンス・オブ・サクセス」(この名称は後に「ザ・ピーエムエー・サイエンス・オブ・サクセス」に変更される)を開発。6月に出版した「ハウ・ツー・レイズ・ユア・オウン・サラリー」がベストセラーになる。またこの年、13講義からなる映画の収録を開始する。「ナポレオン・ヒル・アソシエーツ」は伸び続ける需要に応えるために、「ザ・ピーエムエー・サイエンス・オブ・サクセス」のコースの専任教師を供給するために、マスターコースを創設する。
1954年W・クレメント・ストーンと協力して、「サクセス・アン・リミテッド・マガジン」を創刊する。
1957年ウエスト・バージニア州のセーラム大学から名誉文学博士の称号を受ける。このころストーンに本を書くように勧め、彼の著書「心構えが奇跡を生む」の共著者として執筆の手助けをする。(この本は60年に出版され、世界中で愛読されている。)
W・クレメント・ストーンはこの頃、全国規模の損害保険会社、コンバインド・レジストリー社を創設する。その後、「ナポレオン・ヒル・プログラム」の活用によって、特殊損害保険で世界最大手のエイオン・コーポレーションの会長へと昇りつめる。
1962年W・クレメント・ストーンとの話し合いにより、「ナポレオン・ヒル・アソシエーツ」を発展的に解消し、ナポレオン・ヒルの成功プログラムをより多くの人々に伝えるために、「ナポレオン・ヒル財団」を設立する。
W・クレメント・ストーンの「心構えが奇跡を生む」を読んで感銘を受けたというオグ・マンディーノがストーンのもとを訪れる。オグ・マンディーノは、ヒルとストーンが創刊した「サクセス・アン・リミテッド」誌の編集長を15年間務め、その小冊子を有名な雑誌にまで仕立てた。
1967年「グロウリッチ・ウイズ・ピース・オブ・マインド」を出版。
1970年「サクセス・アンド・グロウリッチ・スルー・パースウェーション」と「ユーキャン・ワーク・ユア・オウン・ミラクルズ」を出版。
※11月、サウス・カロライナ州グリーンビルでナポレオン・ヒル死去、享年87歳。
1988年W・クレメント・ストーンの手により、ナポレオン・ヒル成功プログラムの改訂最新版が作成される。ナポレオン・ヒル財団日本リソーセスが創立され、「ナポレオン・ヒル・プログラム」の普及を開始する。
1999年バージニア州が、ナポレオン・ヒル博士の誕生日10月26日を「ナポレオン・ヒル・デー」と制定する。
2000年アメリカの宇宙飛行士の約20%を輩出しているインディアナ州パーディー大学キャリュメット校内に、知的活動の拠点「ナポレオン・ヒル・ワールド・ラーニング・センター」を開設。
2002年ナポレオン・ヒル財団日本リソーセスが、米国ナポレオン・ヒル財団より「ナポレオン・ヒル財団アジア/太平洋本部」として公認される。
※同年9月 W・クレメント・ストーン死去。
2003年トマス・ジェファースン第三代米国大統領が設立した、全米屈指の名門大学・州立バージニア大学ワイズ校内に、ナポレオン・ヒル財団本部事務局を移転。


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